理事長・副理事長挨拶
理事長・副理事長挨拶
国立健康危機管理研究機構(Japan Institute for Health Security : JIHSジース)が設立されました
~北里柴三郎と森林太郎(鴎外) 二人の医学者のベルリンでの邂逅から137年、そしてJIHSへ~

2025年4月1日
国立健康危機管理研究機構JIHS(ジース)理事長
國土 典宏
2025年4月1日、国立健康危機管理研究機構(Japan Institute for Health Security : JIHSジース)が、NIID国立感染症研究所とNCGM国立国際医療研究センター、二つの組織の統合によって設立されました。
NIID国立感染症研究所とNCGM国立国際医療研究センターにはそれぞれゆかりのある医学者がいます。
ひとりは、世界的に著名な微生物学者であり教育者でもある北里柴三郎(1853-1931)、ひとりは、日本を代表する文豪であると同時に軍医総監として公衆衛生学に貢献した森林太郎(鷗外)(1862-1922、NCGM名誉総長)です。
北里柴三郎は、1886年から6年間ドイツに留学し、ロベルト・コッホに師事し1889年破傷風菌の純粋培養に成功し、さらにその毒素に対する血清療法を確立し、一躍世界的な研究者として名声を博しました。
森林太郎(鷗外)は、1884年から陸軍省派遣留学生として4年間ドイツに留学して後半の1年余をベルリンで過ごし、北里柴三郎の勧めもありロベルト・コッホに師事しました。ベルリンの下水中の病原菌について調査したと言われ、現在の下水サーベイランスに繋がる仕事と考えられます。
二人の医学者のベルリンでの邂逅から137年の時を経て、2025年4月1日、それぞれゆかりのあるNIID国立感染症研究所とNCGM国立国際医療研究センターが統合し、国立健康危機管理研究機構(JIHSジース)として新たな歴史を刻み始めました。
国立感染症研究所は北里柴三郎が、1892年に設立した私立衛生会附属伝染病研究所がルーツであり、東京帝国大学附属伝染病研究所(1916年)を経て、戦後は国立予防衛生研究所となり、1997年国立感染症研究所となりました。研究所は名称も所管も変遷をたどりましたが一貫して我が国の感染症研究の中心的役割を果たしてきました。1961年にワクチン検定庁舎(村山分室)が新築され、1981年にBSL4対応※1の実験室も完成しました。1997に は1955年に国立らい研究所としてスタートした国立多摩研究所が支所となり、ハンセン病研究センターとなりました。
一方、NCGM国立国際医療研究センターのルーツは、1868年戊辰戦争傷病者のための兵隊仮病院にまで遡ります。その後、陸軍本病院などを経て戦後国立東京第一病院となり、1993年に国立国際医療センター、2008年に国立研究開発法人国立国際医療研究センターとなりました。2001年には東京都清瀬市に国立看護大学校が設立され、卒業生の約90%が6つのナショナルセンター※2に入職しています。 また、JIHSが有するもう一つの総合病院、国立国府台医療センター(旧国立国際医療研究センター国府台病院)も歴史は古く、1872年に東京教導団兵学寮病室として設立され、国府台陸軍病院を経て戦後は国立国府台病院、2008年に国立国際医療研究センター国府台病院となり、NCGMの2つ目の病院となりました。 さらに、1920年結核患者のために東京市療養所として建設された国立中野療養所は国立療養所中野病院を経て1993年廃院となり国立国際医療センタ―に統合されました。 JIHSは、国立感染症研究所と国立国際医療研究所の二つの研究所、国立国際医療研究センターと国立国府台医療センターの二つの総合病院、看護人材の育成を担う国立看護大学校、さらに、臨床研究センターと国際医療協力局、6つの事業部門と、それら事業部門を支える統括部門という体制でスタートいたします。DMAT※3事務局もJIHSに移設されました。それぞれの部門には、感染症に限らない研究プロジェクトや、保健医療人材の育成、国際協力や公衆衛生などに携っている多様なバックグランドを持つ専門家が多数います。
JIHSは、まさに、様々な健康危機から国民の皆さまを守ることのできる総合医療研究機関であり、その役割を担いうる人材がいる組織であるということに他なりません。 統合する二つの組織の長い歴史を踏まえ、培ってきた組織文化、積み上げてきた歴史、実績を互いに尊重しながら、国民の皆さまから期待されるミッション「感染症その他の疾患に関する調査・研究の実施や医療の提供を通じて安心できる社会の実現に貢献する」を常に念頭に、「世界トップレベルの感染症対策を牽引する『感染症総合サイエンスセンター』として、基礎、臨床、疫学、公衆衛生、社会科学にわたるすべての領域研究を統合的に推進し、最先端の医療と公衆衛生対策を提供する」をビジョンに掲げ、時代と社会の要請に適確に対応しながら、レジリエントな社会の実現に力を尽くしてまいりたいと思います。 今後とも変わらぬ皆さまのご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。
※1 BSL(バイオセーフティレベル)とは、 細菌・ウイルスなどを取り扱う実験施設の分類。取り扱うことのできる病原体の危険度は、致死性、感染性、伝搬様式、病原体の自然界での生存能力などから4つのレベルに分けられている。もっとも厳しい基準がBSL-4。
※2 旧国立国際医療研究センター、国立がん研究センター、国立循環器病研究センター、国立成育医療研究センター、国立長寿医療研究センター、国立精神・神経医療研究センターの6つの国立高度専門医療センター
※3 医師、看護師、業務調整員(医師・看護師以外の医療職及び事務職員)で構成され、大規模災害や多傷病者が発生した事故などの現場に、急性期(おおむね48時間以内)から活動できる機動性を持った、専門的な訓練を受けた医療チーム。災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assistance Team)の頭文字をとって略して「DMAT(ディーマット)」と呼ばれている。(厚生労働省DMAT事務局Webサイトより)
より柔軟で強靱な健康危機対応能力を目指して
~国立予防衛生研究所(予研)創設時の総合的な医学研究所へ発展の構想をJIHSで果たす~

2025年4月1日
国立健康危機管理研究機構JIHS(ジース)副理事長
脇田 隆字
NIID国立感染症研究所とNCGM国立国際医療研究センターは、2025年4月1日に統合し、国立健康危機管理研究機構(JIHS)として、新たなスタートを切りました。
副理事長として、JIHSのミッションである「感染症その他の疾患に関する調査・研究の実施や医療の提供を通じて安心できる社会の実現に貢献する」を実現するため、「世界トップレベルの感染症対策を牽引する『感染症総合サイエンスセンター』として、基礎、臨床、疫学、公衆衛生、社会科学にわたるすべての領域研究を統合的に推進し、最先端の医療と公衆衛生対策を提供する」をビジョンのもと、副理事長として職責を果たしてまいりたいと思います。
私は、2018年からNIID国立感染症研究所の所長を務めてまいりました。
NIID国立感染症研究所は「感染症を征圧し、予防医学の立場から、広く感染症に係わる研究を総合的に行い、国の保健医療行政の科学的根拠を明らかにする」を目的に、感染症研究、レファレンス、サーベイランス、国家検定および検査、国際協力、研修、アウトリーチ活動など広範囲な活動を行ってまいりました。
NIID国立感染症研究所の成り立ちは、77年前、1947年にNIID国立感染症研究所の前身である国立予防衛生研究所(予研)の設立に遡ります。
当時、わが国は終戦後の混乱期にあり伝染病が蔓延、抗生物質やワクチンなどの生物学的製剤を含め医薬品も不足しその質も低下、医療環境が悪化しました。このため抗生物質やワクチンなどの開発と品質管理の向上が喫緊の公衆衛生上の課題でした。当時わが国は占領下にあり、GHQは抗生物質などの国家検定を実施する国立研究所を厚生省(当時)に設立することを企画しました。東京大学(当時は東京帝国大学)の伝染病研究所職員の半数が移転して予研はスタートしました。
予研設置時の機能は第1にワクチンや血清の基準を決めること、第2に伝染病の総合研究計画を立てること、第3に日本の医学界に海外の最新の研究成果を伝え、また日本の研究成果を海外に伝えることとされました。さらに設立当初は、癌研究所、結核研究所、循環器研究所などの併設する国立研究所として構想され、英語名はNational Institute of Healthとしてスタートしました。その後時代のニーズに応じて様々な組織改編がありましたが、感染症の基盤的研究機能、疫学公衆衛生機能、ワクチンなどの品質管理機能を担ってきました。1992年には戸山庁舎へ移転、1997年には国立感染症研究所(National Institute of Infectious Diseases)に改称しました。移転の際は、予研とともに国立健康・栄養研究所、国立医療・病院管理研究所の三研究所が、国立病院医療センター(現NCGM国立国際医療研究センター)の隣接する戸山の国有地に移転しましたが、その際には、三研究所が国立病院医療センターと協力して、臨床医学と基礎医学の連携を強化し「総合的医学研究センター」として国民の健康のために大いに働くことが示されました。この「総合的医学研究センター」はJIHSの掲げるビジョン「世界トップレベルの感染症対策を牽引する『感染症総合サイエンスセンター』」に通ずるものと考えます。
NIIDの業務は国内外との保健医療機関との連携が極めて重要であり、WHOなど国際機関、地方衛生研究所等と強固な協力体制を築いてきました。それらが、JIHSの活動の礎にもなるものと思います。
JIHSは感染症を含むあらゆる健康危機に対応していくことになります。NCGMは二つの総合病院と研究所で幅広い疾患の臨床、研究領域に対応しているにとどまらず国際保健医療協力や看護人材の育成など多様な事業に多様な人材で取り組んでいます。NIIDとNCGMの統合により、次の感染症パンデミック時には感染症専門家だけでなく、多様な専門性による対応が期待されています。
予研創設時の「総合的な医学研究所」へ発展との構想(夢?)をJIHSで果たすことも期しつつ、日本の健康危機対応能力がより柔軟で強靱なものとすべく努力してまいります。